認識能力 2019 10 5
「人間の認識能力は、すごい」
たとえば、集合写真の中から、
自分の顔を見つけるのは、瞬間的に近いものがあります。
それどころか、友人の顔を見つけるのも早い。
人間が、どのような認識能力を発揮しているのか不明です。
友人の顔を見つけるのに、
「友人は、目が大きいが、鼻は低い。
口は小さく、口の下に、ほくろがある」という認識はしません。
ほぼ瞬間的に友人の顔を認識してしまうでしょう。
人間は、「直感」のようなものを使って顔を認識しているでしょう。
しかし、コンピューターが顔認証するには、「直感」は使えません。
コンピューターには、目の位置、目の大きさ、
鼻の位置、鼻の大きさ、口の位置、口の大きさが、
重要な「入力データ」になってきます。
もちろん、コンピューターが一気に進化したのではありません。
最初は、花の「あやめ」と「かきつばた」を見分けるところから、
コンピューターの訓練(機械学習)は始まったと聞いています。
そこから顔認証まで、
コンピューターの認識能力は、驚異的な進歩がありました。
私が、このサイトで、10年前に、
「コンピューターは石頭」という本を取り上げてから、
驚異的な進歩があったと思います。
しかし、コンピューターによる顔認証は、今、壁にぶつかっています。
それは、プライバシーの問題です。
コンピューターの顔認証は、
憲法で保障されたプライバシー権の侵害ではないかという指摘です。
コンピューターが発達すればするほど、人権と衝突するかもしれません。
結局、コンピューターの発達は、人権が止めてしまった。
後世の歴史家は、そう言うかもしれません。
文明社会において、人権は憲法における最高の位置を占めるからです。
ここ数百年の人類の歴史は、基本的人権の獲得の歴史でした。
これは、憲法の教科書には、必ず書いてあることだと聞きました。